◆ 由緒
◆当神明宮は、寛文四年(一六六四)伊勢の神宮に鎮まる「天照大神」をおまつりするため、大神の御神徳を国中に広めた伊勢の神主、御師によって旧喰川(現本町)に勧請されたと伝へられてゐます。
◆安永五年(一七七六)、広田組中(旧五所川原町、栄、中川、三好村ほか)の安全五穀成就祈願所として広田村大日宮(現神明宮)、吹畑村八幡宮とともに三年目毎に組神楽の執行方を仰せつけられました。
◆明治六年(一八七三)郷社に列格。
◆昭和十九年(一九四四)の大火で茅葺きの豪壮な社殿が灰燼に帰しました。
◆昭和四十年、三百年鎮座してゐた本町から字下り枝(現中央一丁目)に移転。境内は七倍、社殿も鉄筋コンクリート神明造の火事にも耐へるものとなりました。
◆土地区画整理によって現在地に再移転。平成八年に社務所、同九年、拝殿、同十年十月、竣功した清新な本殿に大神を遷し奉りました。
◆平成二十六年、御創建三百五十年を迎へ、式年祭を宵宮祭の前日に執行。永年途絶えてゐた「津軽神楽(記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財)」の奉納を復活させました。次の年から宵宮祭を二日間として神楽の奉納を続けてゐます。
◆境内社「三社宮」の創建は不詳です。古来現在のご祭神である保食神とともに大己貴命、菅原道真公をまつる神社でした。昭和二十五年に菅原道真公を奉遷して永福神社が、昭和三十五年に大己貴命が奉遷されて白衣神社が創建され、ご祭神は一柱になりましたが社名は変はってをりません。