お宮のこと
 由緒
 御祭神
 神宮と神明宮
 境内・社殿

◆ 神宮と神明宮

当社のご創建は、伊勢の神宮に鎮まる「天照大神」をお祀りするため、大神の御神徳を国中に広めた伊勢の神主、御師によって勧請されたと伝へられてゐます。遠くみちのくの地にあって、今まで神宮のご高配によって神宮崇敬の念をより篤く、絆をより強くする機会に恵まれました。

昭和四十年の移転の際に、「本殿心御柱用材」として、桧丸太(木口六寸・長さ六尺)を皇大神宮より賜はってをります。

平成六年、土地区画整理によって現在地に再移転するにあたって、本殿の御用材として、第六十一回伊勢神宮式年遷宮古殿舎撤却材(外宮御饌殿、東・西宝殿御材ほか約四十石)を賜はりました。

平成二十八年には、第六十二回伊勢神宮式年遷宮が恙なく齋行され、お役目を終へて撤下された御装束神宝の中から、神宮の特別のお計らひを以て
 豐受大神宮別宮 風宮御神宝 御靱 一合
 豐受大神宮摂社 田上大水神社御神宝 御鏡 一面の下附相なりました。

平成六年 伊勢神宮式年遷宮撤却材拝受
外宮東宝殿千木

御靭 附 矢十隻

豊受大神宮別宮 風宮 神宝
平成六年調進 同二十七年撤下

 靭は矢を盛るための武具で、古墳時代の遺跡からは、本靭と同様に箱形の筒に矢を納める構造をした靭形埴輪が出土してゐる。
 檜材の木地に黒漆を塗り、研磨と摺漆を繰り返して鏡面状に仕上げる黒蠟色塗りの技法を用ひてゐる。
 皇大神宮では「革御靭」といひ、元来は皮革に漆を塗った「漆皮」製であったと推測される。鎌倉時代後期の嘉元二年(一三〇四)、第三十三回皇大神宮式年遷宮に際し朝廷が神宮へ送った太政官符では現行と同じ檜製で、正応六年(一二九三)に別宮に昇格した当宮の御料においてもこの様式を伝へてゐる。側面の金銅金具に装備する腰緒には紫染めの鹿鞣革が用ひられてゐる。
 矢は「矢竹」を乾燥させ形を整へたものに拭漆の技法で仕上げてゐるが、両正宮の同御料に見られる銀蒔絵による「朽木形」の文様はない。
 矢羽は兵仗(実戦用の武具)が枚三枚羽を用ひるのに対し、本御料は烏羽二枚を矧ぎ付けた儀仗(儀礼用の武具)である。
(「伊勢の神宮と神明宮展」解説より)
 ※公開はいたしてをりません。


御鏡 附 入帷 轆轤筥

豊受大神宮摂社 田上大水神社 御料

 銅と錫の合金であるが、白銅鏡よりも銅の比率が高い銅鏡である。
 鏡を包む裂を入帷といひ、白練絹である。
 鏡を収める筥は檜の木地に黒漆を塗った印籠蓋造で、轆轤で刳って造ることから轆轤筥といふ。蓋の表面には銀平蒔絵により唐花唐草の文様を描き、蓋と身の合はせ目には、銀沃懸地といふ蒔絵の技法により銀粉を密に蒔いて銀地に仕立ててゐる。
 正宮と別宮の御料は、本御料よりも錫の比率が高い白銅鏡で、鏡面は古式に則り水銀を用ひて錫メッキを施し、背面は和鏡の特徴である花鳥文を装飾してゐる。白銅鏡は表面が澄みきってゐることから古来「真澄の鏡(影見)」と呼ばれ、天照大神は、伊奘諾尊が左手に鏡を持ち、その姿(影)を写したときに誕生したとも伝へられてゐる(『日本書紀』第二の一書)。
 尚、皇大神宮所管の宮社の御料は円鏡、豊受大神宮所管の宮社の御料は八稜鏡である。
(「伊勢の神宮と神明宮展」解説より)
 ※公開はいたしてをりません。